兵庫・井筒公選法裁判
-自由な選挙の実現めざし-
井筒 高雄(いづつ たかお)さん 政権交代によって自公政権の悪政にストップをかけるために、09年の衆議院選挙で、民主党などの候補者の支援を表明した地方議員の「活動報告」が公職選挙法違反として検挙された事件。井筒高雄さんは、憲法と国際人権規約を掲げ、自由な選挙の実現を求めてたたかっています。
留置場の消灯時間を過ぎても延々と続く取調べ。井筒さんがどれだけ言葉を尽くして説明しても、捜査官は苛(いら)立つばかりで話を聞こうとせず、声を荒げて怒鳴りつけました。
「応援した候補者が当選したら、金をもらおうとしてたんじゃないのか!」
政権交代をめざして 兵庫県加古川市で、無所属で市会議員を2期務める井筒高雄さんは、長引く自公政権の悪政を食い止めるには政権交代を実現するしかないと考え、09年8月の衆議院選挙で、民主党など複数の政党の候補者を応援することを決め、そのことを記載した「活動報告」を手紙にして支持者に送りました。
「無所属の地方議員の私が、なぜ政党の候補者を応援するのか、市民に説明する責任があると考えました。手紙には、『選挙による政権交代こそが、日本の民主主義を正常にする道』と書き、応援する3人の候補者の政策資料も同封しました」
選挙で民主党を中心とした政権交代が実現した直後、井筒さんは警察に逮捕されます。出した手紙が公職選挙法違反にあたるとして、井筒さんのほかに発送作業をしたアルバイトの市民2人と、作業を指示した市議1人も逮捕されました。
「文書違反による逮捕だと告げられたとき、別件逮捕だと思いました。手紙には、公選法で規制されている『一票入れてください』のような投票依頼の文言は入ってませんでしたから」
シナリオを描く警察 23日間、朝10時から夜11時ごろまで延々と続く取調べに、同房者も異常さを感じます。「お前、人殺しでもやったんか?」
「警察は、私が票の買収をしたという絵を描き、私が応援した候補者の失職を狙ったのではないかと思います。手紙については何も聞かれず、もっぱら金の動きについて聞かれました。政治で一番重視するべきなのは、候補者の政策だということが、彼らには理解できないようでした。議員は権力やお金の見返りを欲するものだという先入観が頭にあるのでしょう」
買収のシナリオが成立しないと判断した警察は、逮捕の収拾をつけるために、文書違反の立件に切り替え、井筒さんに「自白」を迫ります。
「違法文書だと認識して他の市議と共謀して手紙を郵送したな。お前が認めなければ、手伝ったアルバイトたちを任意でいくらでも引っ張れるぞ」
逮捕された市民の一人は、2歳と4歳の子を持つ若い母親。〝これ以上迷惑はかけられない〟――悔しさを噛み殺して「自白」調書にサインしました。
真実を伏せる裁判官 真実が勝つと期待して望んだ裁判は、今年8月、罰金50万円の有罪判決でした。公民権停止5年は、4年後の地方選に出られず、事実上8年間の議席を失うこととなり、井筒さんの政治生命が絶たれたも同然です。
「法廷でいくら証言しても、裁判官は調書を採用します。それがどんな状況で作られたのかを検証もしません。取調べの過程が可視化されていなければ、裁判は被告の言い分を聞くだけの形式的な手続きでしかありません」
「活動報告」の文言は、事前に総務省や選管のチェックを受け、投票依頼ではなく違法にならないことを確認していました。それがなぜ有罪なのか――判決は、「手紙を受け取った人が、親族・知人に働きかけることを期待している」として、手紙を受け取った人まで「共犯」扱いしました。事前に選管のチェックを受けたことについても、「選管の回答を安易に信用している」として、警察が「違法」と言えば違法になるという乱暴な認定でした。
人権の世界水準に光 事件後、警察から電話や聞き込みが何度も来たことで、地域の後援会の人たちの選挙運動は萎縮します。共闘していた加古川市議の無所属の議員仲間も離れていきました。
議会では議員辞職勧告決議が可決され、井筒さんは、迷惑をかけた責任を取って議員辞職を考えました。そんなとき、日本共産党の先輩市議から憲法と国際人権規約を掲げてたたかった大分の大石忠昭日本共産党市議の話を聞きます。ビラの枚数や配り方を細かく規制し、外国では当たり前の戸別訪問や文書活動を禁じた日本の公選法は、国際人権規約という国際条約に違反している事実を知り、暗闇に一筋の光を見つけました。
「国際基準に照らしても、自分がやったことは何も間違っていないし、規約を文字通り読めば公選法は規約違反だと確信しました。むしろ、裁判所が憲法や国際人権規約を深く掘り下げて検証していないことに怒りを覚えました」
井筒さんは、大石市議とともに不当な弾圧をたたかった国民救援会を紹介され、直後におこなわれた東播支部大会で支援を求めて訴えました。それが国民救援会との出会いでした。
もう一度地方政治へ 事件直後から、関西一円の無所属議員などで作られた「井筒さんを救援する会」によって支援運動がはじまりました。国民救援会東播支部も地元の地の利を活かし、この会の事務局的な役割を担っています。
逮捕された市民の体験を聞く機会が何度も設けられ、屈辱的な取調べの実態が知られるにつれ、この事件が、政治的立場の違いを超えた人権問題であるとの理解が広がっていきます。
2010年の選挙で落選した井筒さんは、出身地の東京へいったん引き上げました。そんな井筒さんのもとに、国民後援会の役員から「もう一回、加古川に戻ってこないか」と声がかかっています。
「救援する会と東播支部の共催で開いていただいた集会に参加した後援会の役員の方が、『国民救援会から国際人権の話を聞いて、弾圧の本質がわかった』とおっしゃってました。当事者である私がいくら説明しても受け入れてもらえませんでしたが、第三者である国民救援会が説明してくれたことに説得力があったようです」
事件によって人生に大きな打撃を受けた井筒さん。期待していた政権交代は、自公政権と変わらず、国民不在の政治に終始する民主党政権をとても残念に思っています。しかし得るものも大きかったと話します。
「この事件がなければ、冤罪事件は他人事でしたし、人権について深く考えることもありませんでした。さまざまな支援者に出会うことができ、『あなたは悪くない。自由な選挙を許さない警察・検察・裁判所がおかしいんだ』と言われ、正々堂々と政治活動を続けていいんだと勇気付けられました。再び地方議員に戻ったときには、警察常任委員会に入り、警察官のさらなる人権教育の環境整備にとりくみたいと思っています」
井筒さんは大阪高裁に控訴。裁判勝利と自由な選挙の実現目指してたたかっています。
〈激励先〉〒650―0022 神戸市中央区元町通6―6―12 国民救援会兵庫県本部
救援新聞 2011年11月25日号