連載・獄中に希望届けるメッセンジャー ④
昨年7月に始まった布川事件の再審裁判は、3月16日に判決が出ます。暗闇の中でやっていた最初の支援活動を思うと夢のようです。桜井さん、杉山さんの良い顔を見ていると感無量です。一緒に法務省や矯正管区を走り回って救援運動を教えてくれた柴田先生、おしめをした息子を連れて最初の現地調査に来てくれた山本先生、粘り強いたたかいで証拠開示を勝ちとった佐藤先生、そういった弁護団の努力もありました。よくここまで来れたな、と思います。
当然無罪判決が出ると思っています。検察はあんなに長引かせて、証拠は出さない。2人の人格を弄んでいるとしか言いようがないし、腹が立って仕方ありません。2人は、29年間刑務所にいたことが、いろいろな意味でよかったと言っていますが、やはり辛い日々です。よくがんばったと思います。
東京都本部の専従として他の仕事もある中で、布川事件の支援にかかわり続けることができたのは、事務局をはじめ多くの人の支えがあったからです。たとえば、元全国税の増田美津子さんという方には、10年間、都本部の仕事を手伝っていただきました。困難なときを支えてくれた歴代の布川事件守る会の事務局長、代表委員、そして社会復帰をめざして支えてくれた2人の身元引受人の松尾広次さん、新井英明さんをはじめ、保護者を引き受け、引き継いでくれた大勢のみなさん、布川事件をつないできた人たちというのは一人ひとりの支援者です。
国民救援会は駆け込み寺だと言われます。もちろん何でも相談を受けられるわけではないですが、人権侵害を受けたり、事件の当事者になったりしたら、頼りにできるところ、支えになってくれるところがないじゃないですか。だから、「なくてはならない」以上の役割があると思っています。
会員みんなが刑務所に入るわけにはいかないし、事件の当事者になるわけにもいかない。だから、本当の意味で事件の当事者の立場に立つことはできないけれども、近づくこととか寄り添うことはできます。当事者の思いを想像したり、寄り添ったりするだけでもいいんじゃないでしょうか。
私の場合を振り返ると、高校生のときに白鳥事件の村上国治さんを知って、15歳のときから支援していました。会員になったのは高校を卒業した頃で、なんとなく「獄中にいる人は大変だなぁ」というような気持ちで近づきました。浅草の育ちだからお節介焼きなの。隣の人がちょっと困ってるのを見ると、つい手を出したくなっちゃう。今思えばそれが土台なんでしょうかね。
私に財産というものがあれば、それを少しくらい残していこうかな、という思いで、今も東京都本部でアルバイトとしてお手伝いしています。この布川事件の話もそのひとつだと思って、お話ししました。(おわり)
2011年2月5日号 救援新聞